「グレモモ 」ってこんな「モノガタリ」
規則でがんじがらめの孤児院から抜け出した少女モモ。彼女がたどり着いた小さな町で出来た、はじめての友だちと安らげる場所。しかし、灰色の衣をまとった、時間泥棒のグレイッシュ達によって、町の人々は豊かな時間を奪われてしまいます。ついにひとりぼっちになってしまったモモの前に現れたのは、若きグレイッシュNo.0。モモの時間を奪うよう命ぜられたものの、彼は仕事や自分の存在に疑問を持ち、心に葛藤を抱えていました。そして、モモと出会ったことで、No.0の中に何かが芽生えます。
「グレモモ 」への想い
この物語は、ミヒャエル・エンデが未来に託した願いを
現代に生きる私たち自身の心と言葉で次の未来につなげる「希望」です
「グレイッシュとモモ」という作品は、
ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの「モモ」を原案に、
1996年に演劇集団「激弾BKYU」により創作された舞台劇です。
1996年当時、いじめや生き辛さなど、さまざまな理由で追いつめられ、
不登校や自殺を選ぶ子どもが増加していました。
地域や教育現場では芸術に触れる機会が減っていく中、
子どもたちに、生身の人間からの励ましを届けたい、
物語を通して「あなたは必要とされている」と伝えたい、
そうした想いに駆られた表現者たちの手により、この作品は生まれました。
初演から20年以上経た今でも再演の希望が途切れることなく、
「グレモモ」の愛称で現在もファンが増え続けている、
知る人ぞ知る名作舞台が「グレイッシュとモモ」という作品です。
子どもたちのために、と創作された作品ですが、
幕を開けてみたら、下は5歳児から上は80代まで、
驚くほど多様な世代の人たちがこの作品を愛してくれました。
時代が変わってもこの作品が愛される理由。
それは、この舞台劇が「鑑賞」でなく「体験する」作品だからかもしれません。
この作品の脚本・演出を担ってきた、酒井晴人さんはこんな言葉で作品を伝えています。
ある日、ミヒャエル・エンデさんが、ボクに“種”をくれました。
─『モモ』という“種”
その“種”を、懸命に育てたら『グレイッシュとモモ』という“花”が咲きました。
そしてその“花”は、また“新しい種”を生み出しました。
その“新しい種”を、遠くの町まで運んでくれるモノが現れました。
幸い、その“新しい種”は、その土地で芽を出すことができました。
その土地のモノ達が大事に育ててくれたからです。
水をもらい、光を受けて、その“新しい種”は、スクスク育ってゆきました。
やがて葉が繁り、そして・・・・
エンデさんは、ある学校で自分の作品を朗読した後、
生徒たちのインタビューに答えたそうです。
「私の本は、分析されたり解釈されたりすることを望まない。
それは体験されることを願っている」と。
以前、ドイツで酷評されたインテリの大人たちに向けての言葉でもありました。
花をみて、美しいと感じる心に難しい解釈はいらないのです。
ダンスや歌を楽しむのに理屈はいりません。まさに“劇”も同じです。
まずは社会の重い荷物を肩からおろし、ありのままの心で観劇して下さい。
その荷物を、また背負う勇気を与えることが“劇”にとっての至上の喜びなのですから。
さて、今回の『グレイッシュとモモ』は、その土地で、
どんな花を咲かせるのでしょうか。
願わくば、ご覧になったお客様、ひとり一人に、また“新たなる種”を
持ち帰ってもらえれば、ありがたき幸せにございます。